直腸がんを患って入院し、退院からたった2か月後、脳出血を発症。
右半身麻痺となり利き手から左手へと筆を持ち換えて尚、書くことへの情熱を燃やし続けている「亀井法悦先生」。
本記事では、「法悦先生」のご略歴や「書に対する想い」を掲載します。
もくじ
亀井法悦先生の略歴
まずは、法悦先生のご略歴はこちらになります。
1947年 | 丸亀市に生まれる |
1966年 | 丸亀高校卒業 |
1971年 | 立教大学法学部卒業 第一回個展(新宿ステーションビル・プチモンドサロン) 小坂奇石先生に師事(亡くなるまで二十年間師事) 会社の書道部で江口大象先生にも師事(退社まで師事) |
1976年 | 丸亀に帰る |
1981年 | 香川県展高松市教育委員会賞(初入賞) |
1991年 | 小坂奇石先生没 香川県展善通寺市教育委員会賞 四国書道展大賞(四国書道展招待) ペアーレ講師 |
1992年 | 香川県知事賞 |
1993年 | 県展無鑑査 四国新聞社文化教室講師 |
1994年 | 書道研究「珊々会」主宰 |
1999年 | 毎日書道学会理事 |
2001年 | 江口大象先生に再師事 |
2002年 | 香川県展香川県教育委員会奨励賞 |
2004年 | 香川県展坂出市教育委員会賞 |
2005年 | 日展入選 |
2010年 | 読売書法展 読売新聞社賞(漢字部門) |
亀井 法悦(かめい ほうえつ)
香川県丸亀市出身。
1971年から、のちに「奇石調」と呼ばれる独自の書風を確立し、書家として初めて日本芸術院恩賜賞を受賞した「小坂奇石先生」に師事。
古典に立脚した伝統的な正統派書道を追及する書家。
香川県知事賞・四国書道展大賞・日展入選・読売書法展 読売新聞社賞など受賞、輝かしい経歴を持つ。
2006年、当時59歳。直腸がんを患って入院し、退院から2か月経った同年12月。
書家人生を脅かす出来事が法悦先生を襲った。
朝目覚めると、右半身が動かなかった。脳出血だった。
医師からは「右手で書くのはあきらめてください。」と告げられた。
二人三脚の歩み
リハビリを続けていた時、主治医から「亀井さんは、右手を諦めて左手でやってください。」
そう助言され、初めて左手で筆を握った。すると、想像していたよりも左手が動いたのだ。
その瞬間。「書きたい」「まだ終わりじゃない」という思いが胸の内にあふれ、
「好きな書は絶対にあきらめない」という強い想いが法悦先生を奮い立たせた。
約4か月の入院生活中、お弟子さんは引き抜かれ半分近くに減少。
教室の先生は、残ったお弟子さんが交代で勤めた。子ども達は誰一人、教室を離れることはなかった。
法悦先生は「子ども達は誰一人辞めなかったことが嬉しかった。」と当時の心情を吐露された。
2007年4月。教室に復帰し、書を教える喜びを取り戻した。
リハビリを続けて2年後には、期待・希望・不安・葛藤などさまざまな思いを抱えながら「左手の作品」による書作展を開催。
この時、四国内のみならず関西や他のさまざまな場所から多くの人々が書作展を訪れた。
法悦先生の「左手により生み出された作品」はほとんど売れた。
これは、再起した先生を祝い、応援する気持ちもあるだろうが、人の心を動かす何かが伝わる作品だったことの証でしょう。
それと同時に、「左手の書家」として何とかやっていけそうな希望が見えた瞬間でもあった。
活動を再開し少し経った頃の2010年には、読売書法展で「読売新聞社賞(漢字部門)」に輝き、復活を広く知らしめた。
「身体が不自由な人が、左手で書いたと思わせる字はどこにもなかった。」と評された。
復活までの道のりを支えたのは、こちらのお写真に写る奥様の敬子さん。
敬子さんは美大卒、結婚当時は工芸・染色家。
教室の一角で絵画教室を開く傍ら書も学んで資格を取り、二人三脚で教室の運営を軌道に乗せることにも尽力された。
法悦先生のご活躍は敬子さんの内助の功あってこそでしょう。
インタビュー当日も法悦先生のサポートをなさっており、そのお姿は、法悦先生に対する深い愛情や尊敬、信頼があるからこそだと感じた。
法悦先生が「今」伝えたい想いとは
乗り越えることを想像できない困難を乗り越えた今、伝えたい想いとは…。
法悦先生は、「身体が「不自由」になっても「不幸」じゃない。
地味に思えてもあきらめず、毎日コツコツと続けることは、人生すべてに通じると思う。
ぜひ自分の「好き」なことを見つけて欲しい。
40代・50代の人達を育てるのが私の役目だと思う。まだまだ頑張る。」
と、お話しいただいた優しい笑顔はとても印象的でした。
命が吹き込まれる書斎
法悦先生が「書に命を吹き込む書斎」の一部をご紹介します。
法悦先生と奥様敬子さんのご厚意により本邦初公開です。
こちらは、書斎へ上がる階段です。
うちの弟子の誰も入ったことがない、(主人は手が使えないので、もっと整理したいけど)じょんならん、わやくちゃの部屋。
この部屋から作品が生み出される秘密基地なんです。
①じょんならん (香川の方言) 意味:どうにもならない。の意味
②わや (讃岐の方言) 滅茶苦茶。の意味
揮毫中の法悦先生のご様子です。
き‐ごう〔‐ガウ〕【揮×毫】 [名](スル)《「揮」はふるう、「毫」は筆の意》毛筆で文字や絵をかくこと。特に、知名人が頼まれて書をかくこと。「色紙 (しきし) に—する」
一文字、一文字に心を込め作品を仕上げていきます。
これだけの大作を仕上げるのに、どれほどの集中力を持って精神を統一し、作品に挑まれているのでしょう。
書は、書家が作品に心を、魂を込めて創り上げる芸術なのです。
法悦先生「お気に入りの作品」
こちらは法悦先生お気に入りの作品です。
法悦先生は、左手で書道を続けて今年で18年目です。(2024年時点)
書道は一般的に、左手では筆を使って文字を書く時の「止め」や「はらい」がむずかしいと言われています。
圧巻の書です。
「亀井法悦書作集」・香川県内の「石柱」・「道標」など
「亀井法悦書作集」と香川県内の「石柱」・「道標」などをご紹介します。
こちらは、「亀井法悦書作集」の表紙です。(※中身の掲載はできないため、ご容赦ください。)
躍動感あふれる力作の数々。中をお見せできないのが残念でなりません。
こちらは、丸亀市金倉町にある「圓龍寺の石柱」と「偲朋堂の看板」です。
こちらは、高松市番町にある「法泉寺の座禅堂石柱」、丸亀市西平山町にある「蛭子神社の石柱」です。
こちらは、香川県内に設置されている「道標」です。
香川県内のあちこちにある「道標」。県内在住の方は、馴染みのある方が多いのではないでしょうか。
まさか、「石柱」・「道標」などにも法悦先生の書が彫られていたなんて!
法悦先生ファンにはたまらない情報ですね。
珊々書作展のようす
法悦先生が代表を務める「珊々会」の書作展の様子。
展覧会のご案内
作品を出展される展覧会案内です。
書展名:晩晴書展
日時 :令和6年10月9日〜13日
午前10時~午後5時まで
*最終日は午後4時まで
場所 :豊中市立市民ギャラリー
住所 :豊中市本町1丁目1-5
連絡先:06-6846-8621
網本頼篤・上田邦男・亀井法悦・河本拓人・山本康夫の五人展。
ご高覧賜りますようご案内申し上げます。
昭和の時代を代表する書家「小坂奇石」について
法悦先生が師事した「小坂奇石先生」についてご紹介します。
小坂奇石(1901-91)徳島県海部郡美波町出身。
昭和の時代を代表する書家。
徳島県立文学書道館には、作品三百余点とコレクション・蔵書などが寄贈され、奈良市自宅の書斎を再現した「奇石窟」が設置されている。
こちらは、法悦先生の書斎に飾られている小坂奇石先生の書です。
「亀井書道教室」の詳細情報
「亀井書道教室」の詳細情報は、こちらをご覧ください。
→子どもが書道を習うなら 開設47年「亀井書道教室」の西平山教室は丸亀駅から徒歩約5分|丸亀・宇多津・まんのう・高松
→忙しい大人・社会人の習い事選び。「書道教室」に通うメリットって? 亀井書道教室|丸亀・宇多津・まんのう・高松
あとがき
書家「亀井法悦先生」を取材させていただきました。
丸亀を盛り上げ歴史を紡いできてくださった先生の記事を書かせていただけたことを、大変光栄に思いました。
法悦先生・敬子先生と直接お会いし、「先生」と慕われ、その道を極めることを選択し歩まれてきた方。
とてつもない困難を乗り越えてきた方、それを陰に日向に支えられたであろう方。
その様な方とお話しさせていただいたことは、私の中にたくさんの感情を呼び起こしました。
法悦先生・敬子先生のことを知って欲しい。書を知って欲しい。
そういう思いがあるにもかかわらず、駆け出しWebライターの私には、それらの魅力を伝える力が十分で無いことが悔やまれます。
私は、法悦先生や敬子先生のような人を大切にしてくれる先生に巡り合えた生徒は幸せだと思います。
最後に、取材・撮影・資料提供にご尽力いただいた法悦先生・敬子先生。本当に有難う御座いました。
取材中、何度も泣いてしまい、その様な私に対し温かく接してくださり恐縮でした。
また、記事を仕上げるまでのやり取り中、敬子先生の優しさに触れたことも、私の人生経験が足りず、何度もお心を砕いてくださったことも決して忘れません。
まだまだ未熟者の私ですが、これからの活動をあたたかく見守っていただけますと幸甚です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
我が家は土地が狭いため、なんと主人の書斎は三階にあります。
この上り下りが、退院以来、リハビリにもなっていると思うのです。
本来は、書家ですから。教室よりここが本拠地と言えます。