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てんてんさんのプロフィール
東京生まれ、埼玉育ち。ご主人の実家のある丸亀に移り住むことになったのは、義母が高齢になり一人暮らしが難しくなってきたこと、夫婦ふたりの仕事の区切りをつけられたこと、丸亀市の移住者補助制度ができたことなど、いろんなタイミングが重なって、それが後押しとなり決められたそうです。YMOをこよなく愛し、生涯ジャグリング初心者と称しながら3ボールカスケードをこなすてんてんさんです。
ジャグリング
ジャグリングをやろうと思ったきっかけは、2007年のトヨタ自動車ポルテのコマーシャル。
このコマーシャルでジャグリングを知り、「かっこいい!やってみたい!」と思ったそうです。早速さいたま市のカルチャーセンターに問い合わせたところ、ジャグリング講座が新しく開設されるとの情報を得て、めでたく第一期生として受講。ジャグリングへの一歩を歩み始めます。
先生は同年代の女性ジャグラー。コマーシャルでジャグリングをされている方ともお知り合いだとか。技術の高い先生は少なく狭い世界だそうです。
「未だに3ボールのカスケード(3つのボールのトスジャグリング)しかできない」のだとジェスチャーを交えながら笑顔で話される様子から、できる技が少なくてもジャグリングの楽しさが伝わってきました。
香川でもジャグリングを習いたいといろいろ検索していたところ、へんも先生の弟さんに辿り着いたそうです。ずっと気にはなっていて、Twitterフォローしたり、発信されてるものを覗いたりしてるのだけれど、まだちょっと勇気がなくて一歩を踏み出せていないそうです。
WEBライター講座も、ジャグリングのあの方のお兄さんが先生なんだ~と受講に踏みきるきっかけのひとつになったそうです。
YMO
YMOとの出会いは中学2年生の時。
学校で、片思いしていた男子が休み時間にエレクトーンで『ライディーン』を弾いているところを目撃したのが始まりだそうです。
「この曲は何なの!!」「なんてカッコ良いの!!」
片思い中の彼もカッコよかったけれど、この『ライディーン』の感動に持っていかれてしまったそうです。
ここからYMOの沼にハマっていきます。
『ライディーン』は1980年にリリースされたYMO2枚目のシングル。
早い時期から、TwitterなどSNSを利用していたてんてんさん。
2009年、SNSでつぶやかれるYMOファンの情熱に触れて、自分もまた火がついてしまったそうです。YMO熱の再燃です。
コメントを送ったり送られたり、YMO好きの人たちと繋がって、自分の中でYMOがどんどん濃くなっていったそうです。その感覚、わかります。
SNSでのやり取りを通して、情報交換、ライブ参戦、オフ会参加など、ファン同士の交流もいろいろ経験してきました。そんな中でちょっと痛い目にあったり、ちょっと面倒くさいことになったこともあったそうですが、それまでとは違ったYMOの楽しみ方ができるようになったことで、推し活を堪能しているようです。
残念ながら、2023年、高橋幸宏さん、坂本龍一さんは亡くなり、細野晴臣さんだけになってしまいました。
今は昔の曲を聴くことしかできなくなってしまいましたが、YMOの活動が無くなった後も、CD等新しいソフトはリリースされているそうです。
「誰にも遠慮なく、買いたいものを買えるのは良い」と笑顔で語られてました。
ご主人はYMO愛を理解してくれてはいるけれど、曲は一人で楽しんでいるそうです。
インタビューを終えて
てんてんさんとは。思い立ったら即行動できる人、「好き」をとても大切にしている人、そんな印象を持ちました。そして、いろんなタイミングがてんてんさんの挑戦や決断を後押しし、「持ってるな」と感じてしまいました。
お話上手であり、聞き上手でもあるてんてんさん。共感と刺激の連続で楽しい時間でした。
ありがとうございました。