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今回は、株式会社プロバトン月刊マルータ編集室 制作統括 大林朋子さんに取材をさせて頂きました。
月刊マルータは、丸亀・宇多津地域を中心としたお店の紹介や、お得なクーポン、イベント情報を掲載したフリーマガジンで、毎月各家庭に配布されるのでご存じの方も多いかと思います。
月刊マルータは今から10年前に創刊し、大林さんはその創刊時から勤めているベテラン編集者です。
しかし、この10年の間に、大林さんにとって転機となる出来事が幾度か起こりました。
まずは、大林さんに今の会社に入った経緯からお伺いしてみました。

転職への希望と自己成長への願い
大林さんは、現在の会社に入る前に多くの仕事をした経験がありました。色々な仕事に興味があった、というのも理由のひとつで、いくつかのアルバイトを掛け持ちしていた時期もあったそうです。
当時、大林さんは子育ての真っ最中でしたが、その内「仕事を何か1本に絞りたい」という気持ちが芽生え、ハローワークで編集会社の求人を見つけました。
募集要件とは異なっていましたが、大林さんは書く仕事に興味もあり、ダメ元で応募したところ応募先から連絡があり、現在の月刊マルータの前身会社に入ることとなりました。

それまで大林さんは、編集やライターの経験はありませんでしたが、書く仕事をしてみたかったのと「自分になにかしらの自信が欲しい、何かのプロになりたい、コミュ障を克服したい」という思いもあり、それが今の仕事を選ぶきっかけにもなったそうです。
仕事と子育てと多忙な毎日
会社に入ってから、生来まじめな大林さんは、全力で仕事に取り組みます。
もともと頑張り屋なこともあり、営業・取材・記事の執筆・撮影・デザイン・校正など多岐にわたる業務を次々と身につけていきます。
現在の仕事につく前に、色々な仕事の経験があった大林さんですが、これまでついた仕事で楽しかったのは、意外にも建築系のCADでの設計だったそうです。
現在の仕事とは内容も違いますが、その時の様子を生き生きと語る大林さんから話を聞いていると、その経験が今の仕事にも役立っているのではないかという印象を受けました。

しかし、子育てと仕事の両立は大変で、職場から家に戻っても、仕事のことを考えるのは大林さんにとってかなりのストレスだったようです。
突然、思い寄らない大病に
毎月が締め切りである編集というハードな仕事に、全力を注いでいた大林さんは、やがて、会社の大黒柱的な存在となります。
しかし、会社に入って6年目のある日、大林さんの体に突然病が襲いかかります。脳出血で倒れたのです。
幸い、勤務中だったこともあり、職場の仲間が急いで病院に運び、手術が終わり、無事一命はとりとめました。
ですが、目覚めてすぐ、大林さんは体に強烈な症状を感じます。
体の麻痺は、ほとんど免れたのですが「目に映る物の異常な見え方や幻覚、自分の口から言葉が出てこない、言葉が理解できない、など想像を絶するような世界を体験した」と大林さんは語ります
その後、リハビリテーションセンターに転院した大林さんは、持ち前のまじめさから寸暇も惜しみ、全身全霊でリハビリに取り組みます。

テレビは一切見ず、リハビリの宿題を特別に出してもらい、100%全力でリハビリに集中しました。
コロナが蔓延した時期とも重なり、外部の人と会うこともままならない中、持ち前のポジティブ精神で頑張ったのです。
退院する前に「あなたの場合は仕事がリハビリでしょう」と先生方から口を揃えて言われたそうです。
病で倒れて病院に入院後にリハビリステーションセンターに転院、全2ヶ月の入院を経て大林さんはスピード退院をします。
そして驚くことに、退院した翌日に大林さんは職場復帰を果たしたのです。
職場への復帰と『見えない障害』との闘い
自ら集中して、取り組んだリハビリのおかげで、大林さんは職場に復帰後、撮影、デザインものの原稿を問題なくこなします。
それと並行して、原稿執筆、職場の方の取材にも一緒について行きます。
しかし、言葉が出にくい『失語症』などの『高次脳機能障害』という症状が残りました。
今回、取材で大林さんと話している最中に、そのような症状があることは、私には全く感じられませんでした。
ですが、これが『高次脳機能障害』の大きな特徴で、外見からはわかりづらい障害のため、他の人になかなか理解されにくく『見えない障害』とも呼ばれるとのことでした。

小学生の計算ドリルや漢字ドリル、パズルが多かった。
大林さんは「もともと聴力は良い方ですが、カクテルパーティー効果が弱くなった」と述べられます。
カクテルパーティー効果とは、周囲が騒がしい環境でも自分の名前や関係のある話、興味のある話を聞き取ることのできる脳の機能です。
大林さんが高校生の時、学校の物理の授業で「聴力は2万ヘルツを超えてどこまで聞こえるか」という実験をしたところ、大林さんはクラスの中で一番高いヘルツが聞こえていたそうで、聴力はとても良かったとのことでした。
現在も「聴力が悪いわけではないが、ザワザワした環境の中では聞きたいことがキャッチできにくくなった」と大林さんは語ります。
また、ご自分の症状を「パソコンで例えたらメモリー不足、メモリーが減った状態」とも例えられました。
「メモリーがすごく小さくなり、難しいことは同時にできなくなった。一つのことに一生懸命に集中していたら、自分の名前を呼ばれても、聞こえているけれど認識ができないこともある」とも述べられました。
復帰後の現在と周りの評価
仕事に復帰後の現在、大林さんはやはり多忙で、担当する仕事も非常に多いとのことです。
他のライターさんのサポートや、難しい案件やデザイン、全体の構成までほぼ全部こなしているとのことです。
大林さんに「障害を経験する前と後で、変化したことはありますか?」と尋ねると、取材の際には、聞き漏らしの心配の無いように、必ず同行者と行くようになったとのことでした。
また、外部からの電話応対は、周りに会話や音があると聞き取れない上に、手に麻痺があるため「聞きながら書くのは難しい」と述べられました。
しかし「以前のように難しい文章を書くことはできなくなったけれど、逆にシンプルで読みやすい文章を書くようになった」とも話されました。
この分かりやすく簡潔な文章は、逆に非常に評価が上がり、お客様からも評判で喜ばれるようになっているとのことです。

趣味と未来の夢
大林さんに、趣味を尋ねたところ「読書をすることと、絵を描くことです」と答えられました。
読書は、小説だけではなく、実用書を読むのが特に好きだそうで、それは教養をつけるためでもあり、現在の仕事のベースにもなっていると大林さんは語ります。
もうひとつ、絵を描くことが何よりも好きなのだそうですが、描き始めると寝食忘れるほどのめり込んでしまうため、今はあえて封印していると大林さんはおっしゃいます。
どのような絵を描くのか伺ったところ、油絵をはじめ、デッサンなど何でも描くのが好きだとのことでした。
大林さん曰く「今は、仕事で無茶苦茶忙しいから絵を描くのは本当に無理!」とのことでしたが、いつの日か仕事も退職した後には、好きな趣味を再開して、思う存分に絵を描いてみたいと未来の夢を語られました。
最後になりましたが、今回、大林さんに取材させて頂いたことによって、今まで私がよく知らなかった高次脳機能障害の症状について考える機会となりました。
また、どんな時も常に前向きな心構えでいることの大切さも教えて頂いたように思います。
大林さん、今回はご多忙の中、取材させて頂き、本当にありがとうございました。
※文中の写真は一部を除いて大林さんから提供して頂きました。
