私は、香川県丸亀市に移住して5年目のアラ還「カプチーノ」です。
一女三男の4人の子育てが終わり、今は、ゆるゆるのシニアライフをエンジョイ中です。
もくじ
「カプチーノ」について
名前(ニックネーム) | カプチーノ |
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職業 | ゆるゆるシニアライフ ← IT実務翻訳者(英→日) ← 外資系コンピューターメーカー2社でシステムエンジニア |
好きな食べ物 | インド、タイ、ベトナム等のエスニック料理、珈琲、ティラミス |
丸亀で好きな場所 | 「マルタス」「丸亀城」「MIMOCA」「スーパーセンタートライアル」 |
ブログ運営経験 | インターネットに接続してドメインを取得し、ホームページを作成したのが1995年。 以来ずっとネットに駄文を書き散らかしている。 今はnoteで執筆中。 |
特技 | 韓国語、大阪弁、どこでも寝られて、どこでも仕事ができる。 |
趣味 | 仮説設定と検証。 自宅である築古狭小ビルのリノベーション。 屋上テラスでのガーデニング。 家事の時短化・省力化。 アロマテラピー。 ITを含めた最新テクノロジーのウォッチング。 文章は読むのも書くのも大好き。 特にカフェで文章を書くことが至福のとき。 |
苦手なもの | 絶叫マシン。猛暑と酷寒。 |
運営サイト | たくさんありますが、ほぼ放置。 |
カフェと珈琲が好きすぎる「カプチーノ」
大阪生まれの大阪育ちで、学生の頃に「冷コー(アイスコーヒー)」を好むようになって以来の珈琲愛好家です。
カフェイン中毒で一時的な珈琲断ちも経験して、ようやく「午後にはカフェインレス」という技を習得しました。
自宅には、エスプレッソマシンと低速ミル内蔵の全自動ドリップマシンがあります。
エスプレッソにスチームドミルクを注いだものが「カプチーノ」です。
太らないなら毎日飲みたい「カプチーノ」が、私の名前の由来です。
珈琲だけではなく、場所としてのカフェをこよなく愛し、電源WiFi完備のカフェを探すことも趣味の一つです。
人生の転換期から読む「カプチーノ」の略歴
新卒で就職した会社を定年まで勤め上げ……なかった、「カプチーノ」のドタバタ人生を、転換期(ターニングポイント)を中心に語ってみます。
「学ぶこと」にどハマりし限度を超えた学生時代
親からのプレッシャーが一切ない家庭でゆるゆると育った私は、塾に通うこともなく、遊んでばかりでした。
「大学受験とは(無勉強で挑む)実力テストである」という勘ちがいをして、気づいたときには微妙な大学の学生になってしまいました。
「私はこんなところにいるべきではないのでは?」とわけのわからないプライドがめばえて、翌年度の再受験を決意しました。
そんなある日。
ある教養課程の授業中、手元では受験勉強をしながらチラッと見上げた黒板の数式が、私にはさっぱり理解できないことにショックを受けました。
その授業は私にとっては十分に難易度の高いもので、自分がなぜその高度な勉強ができる環境を捨てて、偏差値レベルの高い大学に入りたいと思ったのかよくわからなくなってしまいました。
「大学名のステイタスが欲しかっただけでは?」
それに気づいた私は、再受験をやめることにしました。
それと同時に「見栄より実利」という大阪人的アイデンティティに目覚めた瞬間でもありました。
その日から大学の図書館に行き、専攻である「心理学」に関係する学会誌や書籍を片っ端から読むことにしました。
限度を超えた多読のおかげで、「速読」と「必要な情報を探し出す」スキルを身につけました。
そこから一気に「新しい何かを学ぶこと」が大好きになりました。
そして、心理学の研究に必要だった「統計学の知識」と「プログラミングのスキル」が幸いして、外資系コンピューターメーカーに採用されました。
24時間戦ってしまったシステムエンジニア時代
社会人としてのキャリアをスタートさせた時期は、まさにバブル景気のど真ん中でした。
やる気に満ちていた私は、「アフターファイブに予定を入れるなんてプロ意識がなさすぎる」と真顔で言うほどの社畜になっていました。
その結果、残業や休日出勤はもちろん、終電に乗れればラッキー、タクシーを使って深夜帰り、仮眠をとって翌日早朝から仕事、という日々に酔いしれていました。
そんな時期に、海外で仕事をしていた今の夫に、「仕事が大変で病みそう。助けて!」と言われてしまいました。
「会社の仕事はだれでもできるけれど、彼を助けられるのは私しかいないのでは?」と思い込み、結婚して海外に住むことを選択しました。
そして退職金でMacintosh IIsiを購入し、パソコン通信で、現地の様子を伝えるレポートを配信したりするようになりました。
インターネット・エバンジェリスト(伝道師)時代
自宅のパソコンからインターネットに接続するようになって、自分の「ホームページ」を開設したのは1995年のことでした。
その時にインターネットの可能性に衝撃を受けて、「密室で子育てをするしかない専業主婦こそ、インターネットで外界とつながるべき」と思うようになりました。
そこから自他ともにみとめる「インターネット・エバンジェリスト(伝道師)」となり、PCの選定と設定、インターネットへの接続サポート、トラブル対応などをボランティアで行うようになりました。
またそれがきっかけで、雑誌に文章を書かせていただいたり、データ入力の仕事を請け負うようになったりしました。
意図せずフリーランスの実務翻訳家へ
夫の仕事でオーストラリアに住むことになった時、私自身は、英語が大キライで全く話せませんでした。
ところが、「英語ができないと子供が病気の時に病院にいけないのでは?」ということに気づき、英語の勉強を始めることにしました。
一度はじめると限度を超えるクセは健在で、うっかり現地のIT系の大学院に進学してしまいました。
その後、友人が出版したIT系の実用本の翻訳をしたことがきっかけで、翻訳の仕事をするようになりました。
睡眠時間4時間時代に時短省力化スキルを養う
朝5時半に起きて4人の子供たちのお弁当をつくり、在宅の実務翻訳者として仕事をしながら家事をこなし、深夜1時過ぎに就寝する毎日を十年以上続けていました。
その間、「いかに家事の手を抜くか」「いかにそれをスピーディにこなすか」を考えることが趣味化してしまいました。
その中で「判断をすると時間がかかる」ということに気づき、「いちいち判断しなくてすむように家事をパターン化する」「テクノロジーを利用する」ことを徹底しました。
今でも「手を抜くために頭脳を使う」という姿勢は変わりません。
自宅のあちこちにセンサー付き照明やスマートスピーカー、Switchbotをはじめとしたスマートデバイスを設置して、日々、時短・省力・自動化に取り組んでいます。
手抜きが高じてキッチンにコンロなしのシニアライフへ
シニアからの生活に備えて、キケンがなくシンプルなキッチン環境を考えた結果、備え付けのコンロをなくしました。
ヘルシオスチームオーブン、ホットクック 、電気圧力鍋、卓上のIHコンロだけを使い、日々「料理の省力化」に頭をひねっています。
今は、そんな生活のトライ&エラーをnoteに書きながら、ゆるゆるなシニアライフを送っています。
趣味となった「自宅のリノベーション」
4人の子育てがほぼ終わり、20年ほど住んでいた海外(豪州、香港、韓国)から完全帰国後、夫の実家のある丸亀に戻って来ました。
実家は、廃墟と化した築古狭小ビルで、そのワンフロアをリノベーションして住み始めたのが2019年の年末のことでした。
世界を旅するノマドワーカーを志すもコロナ禍で動けず。閉塞感ただよう時期に、空きフロアを少しずつリノベーションしていくうちに趣味のようになってしまいました。
カフェのようなインダストリアルな雰囲気を好み、自分たちで設計し分離発注でコスパ良く完成させています。家具はIKEA一択です。
そして今、丸亀市の住みよさを世界に叫びたい!
大阪、東京、メルボルン、香港、ソウル。
これら経済の中心地と呼ばれるエリアで暮らしてきた私が、夫の実家のある「丸亀」に住むことになったとき、いささか抵抗感がありました。
ところが、住んでいるうちに、「こんなに住みやすい場所は他にはないのでは?」と感じるようになってしまいました。
移住者から見た丸亀の良いところは、いろいろとあります。
- 生活に必要な施設がコンパクトにそろっている
- 気候が良く、晴れの日が多い
- 自然災害が少ない
- 「待つ時間」がほとんどない
- 適度に都会で、適度に田舎
- 高層ビルがなく空が広くて視界が良い
- 閉鎖的でなく、移住者にも寛容
- 「丸亀城」「MIMOCA」「讃岐うどん」「骨付鳥」などの観光資源もある
実は丸亀は、旅行先よりも移住先としてのポテンシャルが大きいと感じています。
「世界で最も住みやすい都市ランキング」で常に上位にランクインする都市に住んだ私の、終の住処となった都市「丸亀」。
その魅力を、世界に向けて大声で叫びたいと思うようになりました。
地方都市への移住を考えている方に情報が届くよう、これからも発信を続けたいと思っています。