【しろねこ】リライト

『月刊マルータ』の皆さんとともに、大林朋子さん(写真右から2人目)

香川県丸亀市と宇多津町を中心に発行される生活情報誌『月刊マルータ』。

2015年の創刊以来、地域の特集記事からグルメや美容まで幅広い情報を届け、多くの家庭に親しまれています。

その創刊から携わり、現在は編集ディレクターとして誌面を支えるのが大林朋子さんです。

本記事では大林さんに、脳内出血で倒れ、復活するまでの壮絶なお話を伺ってきました。

偶然から始まった編集の道

大林さんが編集の世界に入ったのは、子育てと複数のアルバイトを続けていたころ。

仕事を1本に絞りたいと模索するなか、ハローワークを介して縁のあった会社に入社しました。それが創刊前の『月刊マルータ』でした。

大林さん(以下敬称略):
特別にライターを志していたわけではありませんでした。でも本を読むのが好きで、書く仕事なら挑戦できるかもしれないと思ったんです。

『月刊マルータ』の皆さんとともに、大林朋子さん(写真右から2人目)

大林:
もちろん、少人数で情報誌を一から立ち上げるという状況は大変だとわかっていました。でも、何も考えず飛び込もうと!

大林さんが入社した当初に携わっていたのは、お店に営業をして広告を獲得すること。

そして、そのお店の情報や特徴を取材して原稿にするという業務をおこなっていたそうです。

大林:
私は「コミュ障」なので、当初はハードルが高かったです(笑)。

記事の執筆は「設計図」を描くように

初めての業種だったこともあり、最初は苦労の連続でしたが、文章に取り組むうちに少しずつ自分なりのやり方をつかんでいきます。

大林:
ライターというと文系の仕事に思われがちですが、私は理系の頭なんです。取材で得た情報を整理して、伝えたいポイントを抽出し、順序を入れ替えて文章を組み立てる。まるで設計図を描くような感覚ですね。

唐突に「理系」という単語が出てきて不思議に思われるかもしれませんが、大林さんが「CAD」という専門的なソフトウェアで製図をしていた経験があり、得意だというお話を聞くと納得でしょう。

また、そのころの経験が誌面のレイアウトやデザイン指示にも役立っているのだとか。

突然の脳内出血と失語症

ところが、入社6年目のある日、大林さんを突然の脳内出血が襲います

CTで検査すると、500円玉大くらいの脳内出血が発見され、すぐに手術をすることになったそうです。

脳のレントゲン写真(大林さんから提供)
脳内出血後に撮影されたCT画像(大林さんから提供)

対応が早かったこともあり、幸い手足のマヒは残らず、驚異的な速さで復活しました。

ところが、「言葉が出にくい」「人の言葉があまり理解できない」という症状が残り、「失語症」だと診断されました。

大林:
たとえば「所属」という言葉が出てこない。1分間に動物の名前を一つも言えない。そんな状態でした。たった500字書くだけの執筆作業でも、ものすごく時間がかかって……。

言葉を武器にしてきた編集者が言葉を失う。それは想像を絶する苦しみに違いありません。

なお、大林さんの病状については「【完結】スタッフ体験談・ともが脳内出血になってから」に掲載されています。

失語症で変わった「文章のスタイル」

そんな苦難を乗り越えて編集の仕事に戻った大林さんは、当時を思い出しながらこう語ります。

大林:
今思えば当時は必死でしたね。仕事に復帰できる人が少ないといわれる大病でしたが、くよくよせずにひたすらリハビリに集中し、言葉に向き合いました。

「やりすぎ」と言われるほどのリハビリが功を奏し、驚くことに半年から1年で文章力は大きく回復したそうです。

今ではキャッチコピーや誌面構成を担えるまでに。ただし騒がしい現場での取材は現在も難しく、サポートを受けながら続けています。

大林:
ガヤガヤした環境だと、キャッチしたい音が聞き取れないのです。言葉がポロポロとこぼれてしまう。難しい話を早口で言われたときの聞き取りも困難になりました。

ただし、失語症はいい意味で「文章のスタイル」を変えたそうです。

大林:
難しいことが書けなくなった分、文章がシンプルになりました。それが逆にわかりやすいと評価されるようになったんです。

その言葉の奥には、「病気さえなければ」という悔しさが潜んでいるように思えます。大林さんが常に自分を俯瞰し、冷静でいながら熱く語る姿が印象的でした。

これからの夢

編集のお仕事をされている大林さんですが、実は絵を描くことが一番好きなのだとか。

大林:
描き始めると止まらなくなるから封印していますが、引退したらまた描きたいですね!

闘病記のコラムに掲載されていた大林さんによるイラストを見て「絵が言葉を補ってくれることもあるのでは?」と強く感じました。

『月刊マルータ』をめくるたび、そこには大林さんが言葉と格闘しながら紡ぎ出した「生きた言葉」が息づいているのです。

大林さんの言葉は「ただの情報」を超え、人の暮らしを支える「伴走者」のような存在になっているのかもしれません。

そしてこれからも、その言葉が地域の人々の暮らしに寄り添い続けることを期待しています。